X線天文衛星「ひとみ」はなぜ失敗したか(3) ISASの独自性とOne JAXA

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宇宙航空研究開発機構(JAXA)のX線天文衛星「ひとみ」喪失事故に関する解説の3回目となる今回は(だいぶ間が空いてしまったが)、「ひとみ」を開発した宇宙科学研究所(ISAS)について見ていくことにする。

ISASは実質「国立宇宙大学」

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JAXAは2003年、宇宙科学研究所(ISAS)と航空宇宙技術研究所(NAL)、そして宇宙開発事業団(NASDA)が合併して誕生した。その中でISASだけが、JAXA内部の組織としてその名を現在もとどめている。

異なるのは組織名だけではない。JAXAの中でISASだけが、研究員は「教授」など教員としての肩書であり、実際に総合研究大学院大学宇宙科学専攻として、各研究室で大学院生が学んでいる。ISASはJAXAの1組織でありながら、その実態は「国立宇宙大学」に近い。そして、その計画管理や予算もJAXAの中では別扱いだ。

「おこづかい制」のISAS

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JAXAの人工衛星開発は、国の宇宙開発戦略本部が定めた宇宙基本計画で定められている。たとえば「温室効果ガス観測衛星」は宇宙基本計画に、開発目的と、2017年度に2号機、2022年度に3号機を打ち上げることが明記されている。基本的な考えは「国が必要とする衛星を、必要な時期に用意する」というのが仕事の進め方だ。

一方、ISASについては「ボトムアップを基本としてJAXAの宇宙科学・探査ロードマップを参考にしつつ、今後も一定規模の資金を確保し、推進する」と書かれている。ボトムアップというのは、国が指示するのではなくISASが自分で考えろという意味だ。スケジュールも「中型衛星」「小型衛星」とだけ書かれているが、これはそれぞれ打ち上げ用にH-IIAロケットとイプシロンロケットを用意するという意味で、どんな衛星や探査機を開発するかはISASが決める。そして予算は「一定規模」とあるが、170~250億円程度で推移している。

ISASは、与えられた仕事をしているのではなく、与えられた予算の中で研究するという裁量を与えられている。ならば「ISASの予算が足りないために信頼性が犠牲になるのではないか」という指摘は的外れだろう。予算が不足しないようにあらかじめ目標を抑えたり、開発途中で一部を諦めるといった判断もISAS自身がするべきなのだ。いわば「おこづかいの範囲内で買い物してきなさい」と言われたようなもので、「欲しいものを買ったら帰りの電車賃が足りなくなった」というのは、理屈に合わない。

宇宙を知りたい「理学」、道具を作りたい「工学」

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このようにISASが自由な研究を許されているのは、科学には優先順位をつけることが難しく、国が指示して研究させるのは合わないからだ。そこでISASの研究者が相談して、自分達で次のプロジェクトを決める。

宇宙科学の研究は、大きく分けて2種類ある。ひとつは、宇宙を観測したり宇宙から地球を観測したりして人類の知識を広げる研究、いわゆる「理学」だ。科学とかサイエンスという言い方でも良いだろう。

X線天文衛星「ひとみ」は理学側からスタートした衛星だ。目的はX線望遠鏡でブラックホールなどを観測し、物理学の研究をすることであって、「ひとみ」はそのための道具だ。かつて天文学者ガリレオ・ガリレイも、宇宙を見るための望遠鏡を自分で作った。最先端の科学研究をするためには、まず道具から作らなければならない。

一方、宇宙へ行って科学研究をするためには、宇宙へ行く乗り物が必要だ。だからISAS(そのルーツである東京大学から)はロケットを作るところから始め、無人の衛星や探査機を開発してきた。これが「工学」で、技術とかテクノロジーとか言い換えても良い。

工学側の代表格は、小惑星探査機「はやぶさ」だ。「はやぶさ」の別名「MUSES-C」は「3機目の工学実験機」というような意味を持っている。つまり「はやぶさ」は小惑星まで行って帰ってくる技術の開発が目的で、だからこそ技術的に難易度の高いチャレンジだったと言える。

もちろん、理学衛星を作るには工学が必要で、工学衛星が役立つのは理学があるからだ。その双方が一緒に研究していることもISASの重要な特徴と言える。

「言い出しっぺの法則」と、理学衛星のリーダー

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さて、ISASでは次のプロジェクトを研究者の話し合いで決めると書いた。当然、理学プロジェクトの提案者は理学研究者であり、工学プロジェクトの提案者は工学研究者だ。そして話し合いの結果、プロジェクトとして選ばれると、言い出しっぺである提案者自身ががプロジェクトマネージャー(PM)になる。

理学プロジェクトの衛星でも、PMは理学研究者が就任する。実際、「ひとみ」のPMはX線天文観測の研究者だ。天文学者が最先端の望遠鏡を自分で作るのはガリレオ・ガリレイ以来の伝統、と言ってもいいかもしれない。

しかし、ISASがまだ技術も未成熟で、失敗を繰り返しながら数十kgの衛星を打ち上げていた頃は良かったかもしれない。「ひとみ」は重量2.7tと、日本の科学衛星としては史上空前の大型衛星だ。宇宙科学の伝統をそのまま適用して、理学研究者に責任を負わせることは適切だったのだろうか。

研究者の仕事は、研究

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理学衛星であっても、望遠鏡などの観測装置以外、宇宙を飛ぶ無人宇宙船としての衛星本体(バスと呼ぶ)を作るのは、工学系研究者の仕事だ。研究者の仕事は、研究をすることだ。研究とは、これまでにない新しい知識、技術などを論文にして学会に発表するという形で人から認められる。理学衛星であっても、今までと同じ技術で作ったのでは研究にならない。

ただ、天文衛星の目的は「良い観測をすること」なので、工学的なチャレンジを抑えてでも、予定の観測期間中は故障せずに作動することの方が優先順位は高いはずだ。技術者や職人であれば、何百年も同じ物を作り続けていても、それが目的のために最良の物であれば変える必要はない。伝統技術であれ最新技術であれ、必要とされるのは「最適なものを確実に作ること」だ。

もちろん、信頼性を高め寿命を延ばすことも重要な研究だから、そういう方針で作るならそれでよい。しかしプロジェクト全体の方針が高性能へ傾けば、そちら寄りの研究が重視されることになるだろう。

「要求を超える要望」を出したのもチーム内

この連載の第1回で、筆者は報告書から「要求以上の要望」という言葉を引用した。衛星を利用する「お客様」は天文学者であり、そのお客様と文書で決定した「要求」以外に「もっと高レベルな要望」を聞き入れてしまった結果、「ひとみ」は性能優先の設計になってしまったという。

しかし、この第3回をここまでお読みいただいたうえでこの話を思い出すと、あっと気付かれるのではなかろうか。そう、「ひとみ」を利用する天文学者の代表はまさに、「ひとみ」の発案者であり開発を推進した、PMをはじめとする開発チーム自身だった。

理学系研究者であれば、より高度な研究成果を求めて、衛星の性能を高めようと考えるのは当然だ。一方で工学系研究者は、理学側の「要求以上の要望」に少しでも応えるべく、より高度な技術を開発しようとする。そのリスク管理まで理学系研究者が行う体制は、巨大な「ひとみ」の開発でついに破綻した。

また、衛星が完成したらその観測成果を使って天文学の研究を進めなければならないし、そもそもそのために衛星を作るのだから、衛星開発と並行して本来の天文学研究も手を抜くわけにはいかない。衛星開発に専念することもできなかったのだ。

ISAS改革は「ダブル管理体制」

これを踏まえて報告書では「今後のISASプロジェクト運営の改革」では、衛星の開発を目的の異なる2人のリーダーで行うこととした。それは、衛星の開発や運用などの管理に責任を持つ「プロジェクトマネージャー(PM)」と、科学研究に責任を持つ「プリンシパルインベスティゲーター(PI)」だ。PIは聞き慣れない言葉だが、意訳すれば「研究グループリーダー」といったところで、科学の世界ではよく使われる用語だ。

PIは衛星を使って科学研究したい人であり、どんな衛星が必要かという観点からプロジェクトを企画することになるだろう。一方でPMは、PIの要求を実現する衛星を作り上げることが仕事だ。従ってPMは、衛星開発の豊富な経験を持ち、リスクを予測して開発のバランスをとる能力が必要だろう。具体的にPMに要求する経験や能力は今後、文書に明記するとされており、ISASの工学研究者ではなくJAXAの他部門などの出身者になるかもしれない。工学研究者がPMに就任する場合でも、それまでの研究との兼任ではなく、PMに専念することが求められている。

ただ、理学を目的とした衛星の開発を無難なリスクマネジメントで進めれば、そのぶんだけ工学の研究機会は減ってしまうことにもなる。一方で工学研究は、理学研究側からの高度な要求や要望に応じるために、背伸びして成長するという面もある。

鍵を握る、宇宙工学研究

こうして見ていくと、宇宙理学研究に重点を置きすぎた「ひとみ」の失敗の反省のもと、理学目的衛星を確実に開発する体制を構築すると、今度は工学研究の機会が失われてしまうというジレンマが見えてくる。これは宇宙開発に限らず日本の産業全体に共通する問題だが、失敗を避けて確実に物を作っていると、技術革新は止まってしまうのだ。

これでは困る。新しい技術を生み出すにも、また宇宙工学の人材を育成するにも、チャレンジの場は必要だ。失敗が許されない衛星とは別に「失敗が許されるプロジェクト」を用意していく必要がある。

ひとつは、工学研究のための専用衛星を開発することだ。たとえば、全く新しい制御システムを、従来型の確実な制御システムと一緒に衛星に搭載する。新しい制御システムが異常を起こした場合は従来型の制御システムが取って代わる。こういった衛星は実用性はないが、技術開発や人材育成には大いに役立つ。

もうひとつは、できるだけ小型で低コストの衛星を練習台として使うことだ。「ひとみ」のような大型プロジェクトは数百億円を要するが、近年発表された観測ロケットを基にした超小型宇宙ロケットを使えば、打ち上げ費用込みで数億円といった費用で人工衛星を開発できるだろう。数億円は決して安くはない金額だが、数百億円の衛星を失敗しないための練習と考えれば安い。

「One JAXA」は成功するのか

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こういった基本的な技術開発の必要性は、JAXAの中でもISASに特有の事情ではない。ISASと旧NASDA系の技術研究を融合させ、双方のニーズや技術実証機会を互いに利用することができれば、技術開発と人材育成はより効果的に進められるのではないかと、筆者は考える。しかし今回のISAS改革案はいわば、NASDA流の組織運営をISASに持ち込むという色合いが強く、「ISAS流」を否定されるような心情を煽って摩擦を生む可能性もある。

ISAS、NASDA、NALの統合でJAXAが誕生した際、「One JAXA」という言葉がよく聞かれた。しかし、特に文化や心情の面でこの3機関が充分に融合し、1+1+1を3より大きくできたかは、筆者には疑問だ。これからのISAS改革がJAXA統合の相乗効果を高めるのか、それとも「やはりISASとNASDAを無理に統合したのが間違いだった」となるのか、筆者は今後も危機意識を持ってJAXAを見守っていきたいと考える。

Image Credit: 池下章裕、JAXA、NASA、ESA、SRON、CSA

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大貫 剛
東京都庁に技術職職員として11年間勤務後、民間宇宙開発を志して退職。ベンチャーを経て、宇宙開発や前職の経験を生かして公共事業に関する解説などの、情報発信をしている。宇宙作家クラブ会員。

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